昨日相田みつをさんのドラマを見た。
相田さんは有名な人だったから私も知ってた。
本も一冊持ってる。
(読んでなかったけど。笑。)
こんなに売れなくて貧乏だったなんて知らなかった。

個展の場面。
「負けて下を向いてるものばかりじゃないか!」と言われる相田さん。
「負ける者がいるから勝つ者が引き立つんじゃないか?
 俺は負けるほうのにんげんなんだよ」
「お前だってほんとは勝つほうにいたいんだろ!!」

その後書の偉い先生に「堕落したね」と言われる。
家に帰り、暴れる相田さん。
「俺は偽善者なんだ!ほんとは勝ちたいんだ!」
「お前はなぜ出て行かない?出ていっていいんだぞ」
そう奥さんに言う相田さん。

「生き方で返すって言ったから手伝わなきゃと思ったんです」
以前 めぐりあえた人たちのおかげでこうしていられる。
生き方で(お礼)返していきたい。そう語ってた相田さん。

相田さんは寺で禅を組む。
住職が言う。
「問題は相手にあるのではない。
 自分にある。
 芋は芋、かぼちゃはかぼちゃ、自分は自分。」

ドラマが終わり相田さんの本を読む。
あのドラマがどこがホントでどこが脚色かわからないけれど。
その言葉言葉にクローズアップする。

私は相田さんとぜんぜん違ってちっぽけなにんげんだけど。
悩んでることは同じなんだなあと思う。

私も日記にえらそうなこと書いてるけど
実際はすごいマイナス思考だから偽善者みたいと思う時がある。

私が本の中で好きな文章は
『きびしい自己否定がなければ
人間はすぐ傲慢になる。
一方、絶対の自己肯定がなければ卑屈になる。
だから共に必要だ』というもの。

私はあまりに自己否定が強いから直さなくちゃと思ってたけど。
こうやって自己否定する自分も必要なんだなと思った。
自己否定をマイナスと捉えるのではなくて傲慢にならない為に
必要なことなんだと思えばプラスになる。

問題は相手にあるのではなく自分にある。

『いつも負けてばかり。
体力も人並み以下で神経質で気が小さくて臆病。
そのくせ、自己顕示欲
とうぬぼれだけは強いんです。

そういう弱さと我執の強さを併せ持った人間が身についた生活の知恵。
それがこの言葉。

むりをしないで
なまけない
わたしは
弱い人間だ
から                      』

陰があるから光のありがたみがわかるように。
負ける者がいるから勝つ者がいる。
けれど自分が負ける者だからと言って卑屈になるのではなく
自分は自分と自己肯定する。

昨日 私は親友だと思ってた人と仕事した。
私はそうだと思ってたけど向こうはそうじゃないことに
気付いたから離れた。
受け入れてもらえない恨みと憎しみと嫉妬が湧き出てくるから。
離れればそんな醜い気持ちが消えるかと思ったから。

彼女は毎日あった私からのメールがなくなっても
何にもなかったかのように接してた。
彼女の立場に立って考えようと努力した。
ほんとはどう思ってるの?と聞きたかった。
思い切りぶつけてしまいたかった。
対話したらなにかが変わったかもしれない。
でもできなかった。
そんな自分がとても嫌いだった。

今  自分も彼女も周りの人間もまだ心から許せない。
けどにんげんだもの。
この私の今の醜い感情も必要なんだと思う。
出来が悪いくせにすぐ人を批判してしまう。
そしてひどく傷つけるだろう。
そうならない為に彼女との別れが必要だったのだろう。

にんげんだもの。
不完全で当たり前なんだよ。
醜い感情があるから綺麗な感情になろうと思うんだもの。
自己否定して自己肯定してそれは共にある。

私は私。
貴方は貴方。
存在(ここ)にいていいんだよ。

コメント

彩

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索