昨日テレビの特集を観てた。
「ギャルサー」と「ニート」は考えさせられる。

「ギャルサー」と言うのは「ギャルサークル」の略で
集まって踊りの練習してイベントしてた。
「ニート」は引きこもりの子が出てた。

外へ向かっていく子供と内へとこもっていく子供。
対象的だけど根っこは同じなんだろうなあ。

家に居場所はないんだろうか。
そんなに追い詰められたんだろうか。

他の人の日記を読んでても哀しくなる。
家族と折り合いが悪い人の多いこと。

私もかなり歪んだ家庭環境に育ったので
逃げ出したくなる気持ちはとてもわかる。
逃げることも大切だと思う。
逃げないことも大切だと思う。

「子供」としての捉え方。
「親」としての捉え方。
比重はどうしても子供としての自分のが大きい。
私は私の中の小さな子供を癒してあげないといけないから。

でも「親」として見た時に自分の親の辛さも少しはわかる。
そして赦していかなくちゃとも思う。
完璧な人間なんてどこにもいないのだから。

けど信じられないくらい虐待受けた人には何も言えない。
絶対赦せないと思うもの。
ただ・・・
「親」のすり替えをしないと傷はふさがらないから。
自分は親に愛されて育ったんだと思い込まないと
穴は塞がらないから。

自分を幸せにしてあげる為には
赦してあげることが必要で
赦してあげる為には愛されてると思うことが必要で。
少しずつ愛を増やしていかないと。

人は愛がないと生きていけないんだな。。。

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彩

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